
定山渓ホテル
住所:〒061-2303北海道札幌市南区定山渓温泉西4-340-1
TEL:011-598-2111
FAX:011-598-2110
チェックイン:15:00
チェックアウト:11:00
交通アクセス:JR札幌駅より「じょうてつバス」にて70分、湯の町下車、徒歩1分
駐車場:有り 200台 先着順 無料







札幌市の戦後の急成長にともなって温泉街は回復した。
1965年(昭和40年)に、定山渓観光協会は漫画家おおば比呂司の助言で河童をモチーフにした街づくりを始めた。
かっぱ音頭を作り、かっぱ祭りを催し、そのために河童の伝説を創作した。
豊平川の淵に身を投げた青年が、後に親の夢枕に立ち、自分は河童と結婚して沈んだのであり、今も幸せに暮らしていると告げたというものである。
これ以後河童は定山渓のシンボルとなった。
札幌市の奥座敷という位置づけもあり、多くのホテルが一昔前の「宴会を行う団体客向け」の構造となっている。
このため、個人客が主流となった現在の旅行形態とミスマッチを起こしており、各ホテルは経営に苦心している。
こうした流れを打開するため21世紀に入る頃から、海外からの団体観光客を積極的に受け入れるようになった。
台湾・香港・大韓民国からが主である。
1877年(明治10年)に定山が死んだ後、1880年(明治13年)に佐藤伊勢造が温泉の経営を引き継いだ。
客が少ないことは変わらず、周りに畑を開き、川で魚を得て生計を立てた。
しだいに客が増え、1886年(明治19年)に高山今朝吉が高山温泉を開き、さらに後に鹿の湯温泉ができた。
1914年(大正3年)に豊羽鉱山の開発が始まると、定山渓温泉の本格的な開発がはじまった。
温泉宿は改築され、新築の旅館も増え、その他の店や家も増加した。
鉱山開発に伴って定山渓鉄道が1918年に開通した。
それまで一日がかりで山道を歩いた苦労がなくなり、1929年(昭和4年)には所要一時間を切って日帰りもたやすくなった。
この交通の便を得て定山渓温泉は札幌の奥座敷としての地位を確たるものにした。
好景気のきっかけになった豊羽鉱山は1920年(大正9年)にいったん休山したが、温泉街と鉄道は互いに支えあって順調に発展した。
定山渓温泉の利用客は、戦時中と戦争直後に激減した。
戦後にホテル(鹿の湯)を接収した進駐軍は、1947年に建物を不審火で全焼させて去っていった。
この地の温泉の存在は古くからアイヌ人に知られていた。
江戸時代には、松浦武四郎が旅行中に川の中に湧く温泉に入ったことを記しており、定山渓温泉のことと知れる。
慶応2年(1866年)に小樽でこの温泉のことを知った僧美泉定山が小さな小屋を作って温泉宿とした。
札幌に新しい北海道の首府を建設していた開拓使判官の岩村通俊は、定山の求めを容れて明治4年(1871年)に温泉地を訪れた。
岩村はここに休泊所と浴槽を作らせ、湯守の定山に米を給与した。
同年本願寺街道の検分の折りにここを訪れた東久世通禧開拓長官が、常山渓と命名し、これが後に定山渓に変化した。
しかし、1874年(明治7年)7月に定山への給与は打ち切られた。当時は札幌の人口が少なく、温泉は経営的にほとんど成り立たなかった。